Take Love Easy, Ella Fitzgerald & Joe Pass
では、音楽の紹介。
先日の深夜、ピアソラの「タンゴ・ゼロ・アワー」を聴いた後、自然と聴きたくなったのがこのアルバム(きっとピアソラを聴いて張りつめた神経を緩めたかったのだと思う)。
エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)がどういう人かということについて、僕は通り一遍の知識しか持っていないので、詳しく書けないのだが、エラ・フィッツジェラルドは、よくサラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)やカーメン・マクレエ(Carmen McRae)などと並び称される偉大な女性歌手。
*気になる方は「Ella Fitzgerald(Google)」で検索してみて下さい。
このアルバムは1973年に、なにがしかの病気から回復したエラが、ジョー・パス(Joe Pass)という素晴らしいジャズ・ギター奏者とデュオを組んで録音したもの。歌われているのは、バラード・ナンバーばかりなので、「ジャズは余り聴かないわ。」という方にもオススメできる。ジャズという言葉に構える必要は全くない(というか、どうしてそういう風潮があるのか僕にはずっと謎だ。何でなんだろね)。
さて、話しは少し逸れるが、僕はジェフ・バックリィ(Jeff Buckley)というアーティストを敬愛している。その彼に、"Live at Sin-é"
という、彼が本格的にデビューする以前に、「Sin-é(シネイ)」というカフェで演奏したものを集めたライブ・アルバムがある。
*このアルバムについて、僕はかなり以前に記事を書いた。今では恥ずかしいような文章なんだけれど、見たい方はどうぞ。「ライブ・アット・シネイについて書いた記事。」
このアルバムのライナーに、(ジェフは)
という文が出てくる(ちなみに「ニーナ」とはニーナ・シモンのこと)。僕は(彼が本当に言ったのかどうかはわからないけれど)このジェフの言葉が好きだ。特に、「その人が歌うと、周りが途方もなく安らぐような存在」という言葉は、ジェフが上で名前を挙げたアーティストの素晴らしさを、本当によく言い表していると思う(正直に書いておくと、僕はまだエディット・ピアフの音楽をちゃんと聴いたことがないのだけれど)。そして、ジェフの言葉を借りれば、僕の中でエラ・フィッツジェラルドは「その人が歌うと、周りが途方もなく安らぐような存在」に間違いなく入る。さらに、この「Take Love Easy」というアルバムは、エラのアルバムの中でも、特に安らぎを与えてくれるアルバムだと思う。
というのも、このアルバムで聴かせてくれるエラの歌声には、とても円熟味がある。例えば、1960年ベルリンでのライブを録音した「マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン」
というアルバムでは、とても43歳とは思えないほどの(彼女は1917年4/25生まれ)、若々しさのあるチャーミングな歌声を聴かせてくれるのだが、このアルバム:「Take Love Easy」では、そういう元気いっぱいの歌声は全く聴かれない。むしろ、たんたんと歌いながらも、しっとりと包み込むようなやさしさがある(もしかしたら、この二つのアルバムを初めて聴いた人は、同じ人が歌っていると思わないかも知れない)。さらに「Take Love Easy」というアルバム・タイトルが表す通りの、非常に肩の力が抜けた、安らぐ音楽がそこにある。
多分、このアルバムの彼女の歌声を聴いて心地悪く感じる人はいないと思う。
加えて言うなら、バックはパスのギターだけという、(音の数が少ないという意味で)とてもシンプルな構成が、彼女の深い歌声を際立たせていると思う。でも忘れてはいけないのは、ジョー・パスのギタープレイも、とにかく素晴らしいということ。彼のプレイに派手な所はどこにもないのだけれど、決してエラの歌声に負けていない。パスのギタープレイは、非常に控えめながら、しっかりと光彩を放っている。
ブログの左の短いアルバム紹介もの書いているのだが、はっきり言って、この二人の創り出す音に包まれているだけで、幸せ。途方もなく安らぐ。未聴の方で、関心を持たれた方がいらしたら、是非聴いて欲しい。ウィークエンドの昼下がりを、ボサノヴァを聴いて過ごすのもよいが、コーヒーでも飲みながらこのアルバムに耳を傾けるものいいですよ。
では、オールヴォワール、モナミ・
P.S. このエラとパスのデュオには続きがあって、「Fitzgerald and Pass...Again 」
というアルバムも出ている。「Take Love Easy」を聴かれて気に入られた方は是非そっちへ進まれることをオススメする。
*この「Fitzgerald and Pass...Again」については、これまたかなり以前に、わけのわからない紹介記事を書いたので、暇な方はどうぞ。*見て後悔しても知らないよ。悲しくなるかもよ。「Fitzgerald and Pass...Again」について触れた記事。
P.P.S. 僕が持っている「Take Love Easy」の音楽は、父親が所有していたレコードなのだが、最近、レコードプレイヤーを以前より聴きやすい位置に配置し直した。これで、PCをカチャカチャしながら、父の所有していたジャズ・レコード、母の所有していたクラシック・レコードを、もう一度ちゃんと聴き直すことができる。それはとってもエキサイティング。でも、一言いうなら、父のレコードは(ジャズの名盤と呼ばれるものをある程度揃えていて)素晴らしいのだが、彼は後期のマイルス・ディヴィスを余り好きでなかったらしい(彼のマイルスのレコードの所有は、かろうじて「ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)
」がある位で止まっている)。それが惜しい。僕は後期のマイルスも凄く面白いと思う。「In a Silent Way」
とかレコードで所有しておいて欲しかった。一方、母親は、昔の彼女はクラシック一辺倒だったのかも知れない。僕はクラシックに疎いのでとても有り難いのだが、今の彼女の趣味は謎。ごくたまに何の前触れもなしにCDを送ってくることがある。記憶に新しいのは「1989年ベルリンの壁開放記念コンサート」で、これはよかった。"O Freunde, nicht diese Töne!"(「ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!」)とかアツイ、と言うかたまらん(こんなセリフ言ってみたい。どこで?)。でも同時に、何だったか忘れたけれど、沖縄シャンシャン・ソング、みたいなタイトルの、延々「アー、シャンシャン。よいシャンシャン」みたいなことを歌うCDを送ってきたりする。…僕にどうして欲しいのだろうか?彼女にはちょっとエキセントリックな所があるので、それもまぁいいかな…とも思う。日本の「ゆらゆら帝国」というバンドの歌に、「人間やめときな〜野生の石になれ〜」という歌詞があるのだが(確かそんな歌詞だったと記憶している)、その言葉通り、彼女は彼女の人生のある時点から、「人間やめて」しまった。石にはならなかったけど、別のものになった…。うーん、これについて書き出すと長くなるので書かない。
そんなこんなで、とりあえず母親の持っていたレコード、J.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」を今聴いている(カール・リヒター指揮)。……さすが大バッハ。素晴らしすぎて動けなくなる。本当に。バッハめ。
先日の深夜、ピアソラの「タンゴ・ゼロ・アワー」を聴いた後、自然と聴きたくなったのがこのアルバム(きっとピアソラを聴いて張りつめた神経を緩めたかったのだと思う)。
![]() | テイク・ラヴ・イージー エラ・フィッツジェラルド&ジョー・パス エラ・フィッツジェラルド ジョー・パス 曲名リスト 1. テイク・ラヴ・イージー 2. ワンス・アイ・ラヴド 3. ドント・ビー・ザット・ウェイ 4. ユーア・ブラーゼ 5. ラッシュ・ライフ 6. ア・フォギー・デイ 7. ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー 8. ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド 9. アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー Amazonで詳しく見る by G-Tools |
エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)がどういう人かということについて、僕は通り一遍の知識しか持っていないので、詳しく書けないのだが、エラ・フィッツジェラルドは、よくサラ・ヴォーン(Sarah Vaughan)やカーメン・マクレエ(Carmen McRae)などと並び称される偉大な女性歌手。
*気になる方は「Ella Fitzgerald(Google)」で検索してみて下さい。
このアルバムは1973年に、なにがしかの病気から回復したエラが、ジョー・パス(Joe Pass)という素晴らしいジャズ・ギター奏者とデュオを組んで録音したもの。歌われているのは、バラード・ナンバーばかりなので、「ジャズは余り聴かないわ。」という方にもオススメできる。ジャズという言葉に構える必要は全くない(というか、どうしてそういう風潮があるのか僕にはずっと謎だ。何でなんだろね)。
さて、話しは少し逸れるが、僕はジェフ・バックリィ(Jeff Buckley)というアーティストを敬愛している。その彼に、"Live at Sin-é"
*このアルバムについて、僕はかなり以前に記事を書いた。今では恥ずかしいような文章なんだけれど、見たい方はどうぞ。「ライブ・アット・シネイについて書いた記事。」
このアルバムのライナーに、(ジェフは)
「その人が歌うと、周りが途方もなく安らぐような存在」の例として、故エディット・ピアフやレイ・チャールズと共にニーナを挙げていた。
という文が出てくる(ちなみに「ニーナ」とはニーナ・シモンのこと)。僕は(彼が本当に言ったのかどうかはわからないけれど)このジェフの言葉が好きだ。特に、「その人が歌うと、周りが途方もなく安らぐような存在」という言葉は、ジェフが上で名前を挙げたアーティストの素晴らしさを、本当によく言い表していると思う(正直に書いておくと、僕はまだエディット・ピアフの音楽をちゃんと聴いたことがないのだけれど)。そして、ジェフの言葉を借りれば、僕の中でエラ・フィッツジェラルドは「その人が歌うと、周りが途方もなく安らぐような存在」に間違いなく入る。さらに、この「Take Love Easy」というアルバムは、エラのアルバムの中でも、特に安らぎを与えてくれるアルバムだと思う。
というのも、このアルバムで聴かせてくれるエラの歌声には、とても円熟味がある。例えば、1960年ベルリンでのライブを録音した「マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン」
多分、このアルバムの彼女の歌声を聴いて心地悪く感じる人はいないと思う。
加えて言うなら、バックはパスのギターだけという、(音の数が少ないという意味で)とてもシンプルな構成が、彼女の深い歌声を際立たせていると思う。でも忘れてはいけないのは、ジョー・パスのギタープレイも、とにかく素晴らしいということ。彼のプレイに派手な所はどこにもないのだけれど、決してエラの歌声に負けていない。パスのギタープレイは、非常に控えめながら、しっかりと光彩を放っている。
ブログの左の短いアルバム紹介もの書いているのだが、はっきり言って、この二人の創り出す音に包まれているだけで、幸せ。途方もなく安らぐ。未聴の方で、関心を持たれた方がいらしたら、是非聴いて欲しい。ウィークエンドの昼下がりを、ボサノヴァを聴いて過ごすのもよいが、コーヒーでも飲みながらこのアルバムに耳を傾けるものいいですよ。
では、オールヴォワール、モナミ・
P.S. このエラとパスのデュオには続きがあって、「Fitzgerald and Pass...Again 」
*この「Fitzgerald and Pass...Again」については、これまたかなり以前に、わけのわからない紹介記事を書いたので、暇な方はどうぞ。*見て後悔しても知らないよ。悲しくなるかもよ。「Fitzgerald and Pass...Again」について触れた記事。
P.P.S. 僕が持っている「Take Love Easy」の音楽は、父親が所有していたレコードなのだが、最近、レコードプレイヤーを以前より聴きやすい位置に配置し直した。これで、PCをカチャカチャしながら、父の所有していたジャズ・レコード、母の所有していたクラシック・レコードを、もう一度ちゃんと聴き直すことができる。それはとってもエキサイティング。でも、一言いうなら、父のレコードは(ジャズの名盤と呼ばれるものをある程度揃えていて)素晴らしいのだが、彼は後期のマイルス・ディヴィスを余り好きでなかったらしい(彼のマイルスのレコードの所有は、かろうじて「ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)
そんなこんなで、とりあえず母親の持っていたレコード、J.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」を今聴いている(カール・リヒター指揮)。……さすが大バッハ。素晴らしすぎて動けなくなる。本当に。バッハめ。
Ludwig van Beethoven, String Quartets No.13
なんだか急に寒くなってきた。寒くなってくると、スロー・コアやエレクトロニカ(余り甘い音ではないもの)なんかの音楽が聴きたくなる。それに加えて、女性ジャズヴォーカルやトリオ演奏なんかの音楽、また今日取り挙げるような室内楽も聴きたくなる。それらに共通しているのは、多分、音の数が少ないということ。また場合によっては演奏がミニマルであるということ(場合によってはね)。正確に言うことができないが、僕はたまにそういう音楽が無性に聴きたくなる。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番
ということで、今日好んで聴いたのはこのCD。本当は今日、Nitin Sawhneyの音楽を紹介しようと思っていた。そのために、ここ三日程僕が持っている彼の音楽(3枚のCD)をよく聴いていたのだが、結局どれを取り挙げるか決めかねてしまった。そんなとき、ふとこのCDが聴きたくなった。聴いてみるとすごく今の気分にはまった。
クラシック(またはベートーヴェン)と聞くと、まず交響曲という気がするかも知れない。僕自身何となくそんな気がしていた。でも、母親が持っていたウィルヘルム・バックハウスの弾くベートーヴェンのピアノソナタ、そしてこの弦楽四重奏なんかを聴いてみて思ったのは、(当たり前のことだが)クラシック音楽を「=交響曲」という図式で捉えてはいけない、ということ。むしろ、ピアノソナタや弦楽四重奏なんかの形式の方が、僕には取っつきやすいし、聴きやすい気がする。
そして、これまた当たり前のことだが、弦楽四重奏には金属音が含まれていない(つまり、金属で作られた楽器の音や機械で作った音が含まれていない)。ミニマルなエレクトロニカがとても心地よいときもあるので一概には言えないのだが、僕にはそれが(木製楽器の持つ音のやわらかさや伸び、みたいなものが)聴いていて心地よいときもある。
ポップで楽しいと形容できる音楽ではないと思う。けれど、美しく伸びやかで、ときに厳しさを感じさせるこの音楽の旋律が僕は好き。
何と形容すれば良いのかわからないので、これ以上書くのを止める。
では、オールヴォワール、モナミ。

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番
ということで、今日好んで聴いたのはこのCD。本当は今日、Nitin Sawhneyの音楽を紹介しようと思っていた。そのために、ここ三日程僕が持っている彼の音楽(3枚のCD)をよく聴いていたのだが、結局どれを取り挙げるか決めかねてしまった。そんなとき、ふとこのCDが聴きたくなった。聴いてみるとすごく今の気分にはまった。
クラシック(またはベートーヴェン)と聞くと、まず交響曲という気がするかも知れない。僕自身何となくそんな気がしていた。でも、母親が持っていたウィルヘルム・バックハウスの弾くベートーヴェンのピアノソナタ、そしてこの弦楽四重奏なんかを聴いてみて思ったのは、(当たり前のことだが)クラシック音楽を「=交響曲」という図式で捉えてはいけない、ということ。むしろ、ピアノソナタや弦楽四重奏なんかの形式の方が、僕には取っつきやすいし、聴きやすい気がする。
そして、これまた当たり前のことだが、弦楽四重奏には金属音が含まれていない(つまり、金属で作られた楽器の音や機械で作った音が含まれていない)。ミニマルなエレクトロニカがとても心地よいときもあるので一概には言えないのだが、僕にはそれが(木製楽器の持つ音のやわらかさや伸び、みたいなものが)聴いていて心地よいときもある。
ポップで楽しいと形容できる音楽ではないと思う。けれど、美しく伸びやかで、ときに厳しさを感じさせるこの音楽の旋律が僕は好き。
何と形容すれば良いのかわからないので、これ以上書くのを止める。
では、オールヴォワール、モナミ。
Tango: Zero Hour, Astor Piazzolla
最初にこう書いてしまうと言い訳のようで嫌なのだが、僕はピアソラ(Astor Piazzolla)の作品でちゃんと聴いたことのあるのはまだこれだけだ。もちろん、リベルタンゴとか、余りにも有名なのはどこかで聴いたことはあるのだが。
ピアソラに関心がないわけではない。ただどれから手を付けていいのかよくわからなかった。そんなとき音楽に詳しい知り合いに、その気持ちを打ち明けると、『まずこれを聴きなさい』と貸してくれたのがこのアルバムだった。

Tango: Zero Hour, Astor Piazzolla
*リンク先と画像が違うのは気にしなくてよい。綺麗な画像が使いたかっただけだから。
その人と話しているときに、僕がまだ"タンゴ・ゼロ・アワー"を聴いたことがないと打ち明けたら、『それは君、人生でもの凄い損をしているよ。』と強く、そしてきっぱりと断言されたのを覚えている。僕はそういう台詞が大好きなので、貸して貰えたときはとても嬉しかった。だって考えてもみて欲しい。この世に生をうけて聴いていないのを後悔するような音楽がある(それはきっと、僕にはまだたくさんある)なんて、胸が高鳴るしかないじゃないか。
聴いた。
初めて聴いた後は本当に動けなかった。この音楽を聴いていなかったことを後悔するどころか、生まれてきたことを後悔しそうになった。
僕は音楽の専門家ではないので、ピアソラがこのアルバムでやっていることのすべてを理解してはいないだろう。でもこう言える。
『完璧は存在する。』
これは友人のOmen氏がジェフ・バックリィの音楽を評して言った言葉だが、僕にしてみればその言葉はこのピアソラの音楽にも当てはまる。
その言葉が当てはまる数少ない音楽として当てはまる。
または、
『音楽のほんとうのねらいは人の心の奥で何が起こっているのかを抉り出すことであって、みんながなりたがっているものやお店で買いたがっているものに合わせることではないんだ。』
というジェフ自身の言葉もこのアルバムには当てはまる。
ライナーを読むと、ある時のピアソラのライブを見たギル・エヴァンスが『こんなすばらしい音楽を聴かせてもらったのは20年ぶりだ。今夜のことを忘れるには20年かかるだろう』と言ったらしいが、聴いた後はその言葉も誇張ではないと思える。
さて、では何が完璧かということについて少し触れておく。まず演奏が完璧なのは言うまでもない。細やかな音のニュアンスを感じれるし、一音一音がとても大切な音として聞こえる。例えば stop&go では、バンド全体の音が止まる瞬間の合わせ方に息を呑むような思いをするし、音が止まっている瞬間にも意味がある。というかピアソラの音楽からはその止まっている瞬間に意味を見いだすことができる。そして次に音が入り始める時の音色や音量も完璧だ。
拍の取り方とか、音の強弱の付け方は『もう参りました』としか言いようがない。聞こえてくる音色はメロディ音であるとともに、しっかりとしたリズムも持っている。そんな音を出す楽器同士が互いが掛け合うように演奏し合い、音と音がぶつかり合いながら一つの曲を作り上げていく様はすごいとしか言いようがない。そんなときは、ただもう聴くしかない。
また楽器同士の録音のバランスや音色にも完全を期されているのを感じる。音の遠近がはっきりしているというか、その時々で一番聞こなくてはいけない音が強調され、背景になる音もちゃんと聞こえてくる感じがする。演奏だけでなく録音バランスの良さも曲全体のダイナミズムを強調するのに役立っているのだろう。
というのが、今の僕の感想。気になった人には、とにかく聴くことオススメする。ある意味で、確かに人生が変わる(かも知れない)。何より音楽は聴かないと感じることができないし(多分。そうとも言い切れない可能性があることを僕は否定しない)、聴かないと音を思い出すこともできない。オギャーと生まれてから、聴いていないのを後悔するような音楽は、また思い出せるものとして記憶に焼き付けられるのが素敵(だと思う)。この記憶はいつでも僕のものだし、死ぬまで僕のものであって欲しいね。
■Piazzolla. Home Page.
では、オールヴォワール、モナミ。
中々ダイナミックな文章を書いたな、と我ながらちょっと感心する。恥とかもういいじゃん。生きてくことが恥だって(僕の場合)。書きたいこと書けよ、ね、私。はいそうします(脳内会話)。(今更なにをやっても)嫌な記憶は消えず、真っ白な明日はやってこない。
ピアソラに関心がないわけではない。ただどれから手を付けていいのかよくわからなかった。そんなとき音楽に詳しい知り合いに、その気持ちを打ち明けると、『まずこれを聴きなさい』と貸してくれたのがこのアルバムだった。

Tango: Zero Hour, Astor Piazzolla
*リンク先と画像が違うのは気にしなくてよい。綺麗な画像が使いたかっただけだから。
その人と話しているときに、僕がまだ"タンゴ・ゼロ・アワー"を聴いたことがないと打ち明けたら、『それは君、人生でもの凄い損をしているよ。』と強く、そしてきっぱりと断言されたのを覚えている。僕はそういう台詞が大好きなので、貸して貰えたときはとても嬉しかった。だって考えてもみて欲しい。この世に生をうけて聴いていないのを後悔するような音楽がある(それはきっと、僕にはまだたくさんある)なんて、胸が高鳴るしかないじゃないか。
聴いた。
初めて聴いた後は本当に動けなかった。この音楽を聴いていなかったことを後悔するどころか、生まれてきたことを後悔しそうになった。
僕は音楽の専門家ではないので、ピアソラがこのアルバムでやっていることのすべてを理解してはいないだろう。でもこう言える。
『完璧は存在する。』
これは友人のOmen氏がジェフ・バックリィの音楽を評して言った言葉だが、僕にしてみればその言葉はこのピアソラの音楽にも当てはまる。
その言葉が当てはまる数少ない音楽として当てはまる。
または、
『音楽のほんとうのねらいは人の心の奥で何が起こっているのかを抉り出すことであって、みんながなりたがっているものやお店で買いたがっているものに合わせることではないんだ。』
というジェフ自身の言葉もこのアルバムには当てはまる。
ライナーを読むと、ある時のピアソラのライブを見たギル・エヴァンスが『こんなすばらしい音楽を聴かせてもらったのは20年ぶりだ。今夜のことを忘れるには20年かかるだろう』と言ったらしいが、聴いた後はその言葉も誇張ではないと思える。
さて、では何が完璧かということについて少し触れておく。まず演奏が完璧なのは言うまでもない。細やかな音のニュアンスを感じれるし、一音一音がとても大切な音として聞こえる。例えば stop&go では、バンド全体の音が止まる瞬間の合わせ方に息を呑むような思いをするし、音が止まっている瞬間にも意味がある。というかピアソラの音楽からはその止まっている瞬間に意味を見いだすことができる。そして次に音が入り始める時の音色や音量も完璧だ。
拍の取り方とか、音の強弱の付け方は『もう参りました』としか言いようがない。聞こえてくる音色はメロディ音であるとともに、しっかりとしたリズムも持っている。そんな音を出す楽器同士が互いが掛け合うように演奏し合い、音と音がぶつかり合いながら一つの曲を作り上げていく様はすごいとしか言いようがない。そんなときは、ただもう聴くしかない。
また楽器同士の録音のバランスや音色にも完全を期されているのを感じる。音の遠近がはっきりしているというか、その時々で一番聞こなくてはいけない音が強調され、背景になる音もちゃんと聞こえてくる感じがする。演奏だけでなく録音バランスの良さも曲全体のダイナミズムを強調するのに役立っているのだろう。
というのが、今の僕の感想。気になった人には、とにかく聴くことオススメする。ある意味で、確かに人生が変わる(かも知れない)。何より音楽は聴かないと感じることができないし(多分。そうとも言い切れない可能性があることを僕は否定しない)、聴かないと音を思い出すこともできない。オギャーと生まれてから、聴いていないのを後悔するような音楽は、また思い出せるものとして記憶に焼き付けられるのが素敵(だと思う)。この記憶はいつでも僕のものだし、死ぬまで僕のものであって欲しいね。
■Piazzolla. Home Page.
では、オールヴォワール、モナミ。
中々ダイナミックな文章を書いたな、と我ながらちょっと感心する。恥とかもういいじゃん。生きてくことが恥だって(僕の場合)。書きたいこと書けよ、ね、私。はいそうします(脳内会話)。(今更なにをやっても)嫌な記憶は消えず、真っ白な明日はやってこない。


